最善の努力・対策もしてないのに大変だの辛いだのと言ってる人が嫌いです。
やることはやれ。
やってから愚痴れ。文句を言え。
一生懸命頑張ってる人は心から応援したいな・・・
なんてことを思いながら今日もまた日記を書いてます・・・
さて
昨晩、Uちゃんが寝付いてからDSが開いた。
やっと俺の番だ・・・^^。。。
ということで、Uちゃんが寝た後、夜の2時くらいまでダビスタをやっていた。
今朝は(2人とも)9時過ぎに起きた。
UちゃんはゴロゴロしながらDSのスイッチを入れた。
起きた早々ゲーム・・・ですか?!
いいけどさ。(^^;
俺は洗濯を始めた。
洗濯機が止まってもまだUちゃんはDSをやっていた。
俺はそんなUちゃんを横目に洗濯物を干していた。
Uちゃんはゴロゴロとゲームをしながら言った。
「Uちゃんはいい奥さんなわけ?( ´ω`)」
ああ、いい奥さんですよ。
家事もよーくやってくれるし、金銭感覚もしっかりしてるし、いい奥さんに恵まれたと思ってますよ。
本当に。
ちょっとあっちが少ないけど・・・ごにょごにょ・・・ ←これは心の言葉です。(-_-;)
今日は俺は休みだった。
Uちゃんは午後から仕事だった。
家事は(基本的に)休みのほうがやる。
それがうちのルールですから。
気にしないでゴロゴロしてていいよ!
「ありがと!Uちゃんもいい旦那さんに恵まれたと思ってるよ♪
KGさんもいい奥さんに恵まれて良かったね〜 ( ´∀`)」
布団の上でゴロゴロしながら・・・
DSをやりながら・・・
汗だらだらで洗濯物を干す俺にそう言ったUちゃん。
この姿だけ見たら誰にも 「いい奥さん」 には見えないだろうけどね。((((((((((((^^;
おかげさまで順調です、我が家は。
あっち方面だけ除いてね ^^。 ←しつこい(-_-)

今日の余談は清原と桑田の話です。興味がある方だけどうぞです (^^;
日記とは全然関係ない話ですが・・・
いい話だったので、なんとなく掲載 ^^。
<<桑田・清原友情の38球>>
数々のドラマを演じてきたKKコンビが手を取り合い、伝説の「KK対決」がよみがえった。オリックス・清原和博内野手(40)が29日、スカイマークで、PL学園、巨人で同じユニホームを着た盟友の桑田真澄(40)氏とフリー打撃で対戦。8月3日の1軍復帰へ向け、魂の38球に後押しされた。引退後も親友のために練習を重ねてきた桑田にとっても、野球人生の大きなピリオドとなった。
日が暮れかけた午後5時半。18・44メートルの距離を通した2人だけの“会話”だ。パイレーツの背番号「18」のユニホームを着た桑田がシャープな体から力強い直球を投げ込む。2軍のサーパスではなく、1年10か月ぶりにオリックスの戦闘服で打席に立った清原は鋭いスイングで応えた。PL学園に入学した15歳から25年間。互いの代わりはいない、大切なライバル同士だった。
公式戦で最後に対決したのは、94年10月27日の日本シリーズ第5戦(西武)。この時は清原が2本塁打を浴びせた。今年3月に桑田が現役引退を表明。昨年7月に左ひざ軟骨移植手術を受けた清原は、リハビリ中に一報を聞いた。「1軍が見えてきた時に投げてもらおうと思った」。桑田も引退後の夢について「キヨの打撃投手をやりたい」。2人の思いは一致した。
桑田の帰国から約2週間後の4月17日。2人は神戸市内で語り合った。中華料理を食べ、清原が桑田のために用意したワインを飲んだ。
桑田:「(今まで)ありがとう」
清原:「きれいっていうか、お前らしい、いいやめ方だ。ぽっかり穴が空いたような気がした。結局、お前がやってるからオレもやってたんだなあ。よく分かったよ」
午後8時頃から始まった食事会は、気がつけば午前4時を回った。
桑田は打撃投手をするためだけに、現役時代さながらのトレーニングを続けていた。「アマチュアのボールは投げたくなかった。引退してから考えるのは高校時代のことばかり。彼と知り合ってなかったら、もっと早くに野球を辞めていたと思う。先に引退したけど、今までの感謝の気持ちを込めて投げさせてもらった。」
全力でぶつかった38球だった。2人の間には、ケージもネットもなかった。パイレーツのユニホームで桑田がマウンドに立つと清原が打席へ。直球を右翼席へ運べば、背番号18も直球で4つの空振りを奪った。日本シリーズ、球宴では通算20打数8安打、4本塁打の対戦も、この日は互角だった。
18球目は桑田が打たれた瞬間「これは行ったでしょ」と笑うほどの鮮やかな右越え弾。
アクシデントは26球目に待っていた。打球が桑田の左足首内側を直撃。しかし桑田はコールドスプレーをかけて再びマウンドに立った。そして、休むことなくさらに12球を投げ込んだ。大きく腫れた左足。清原は泣きそうになっていた。
「会心の当たり。投げ続けたのが不思議だし、心配。」と思いを熱くした清原。「お土産をもらいましたね」患部は腫れ、すぐ病院に行った方がいいというくらいの打球だったが桑田はさわやかに笑った。
31球目が終わると、清原が口を開いた。「ここから真剣勝負な」。桑田は「それは全力で投げてもいいってこと?」。ここからはオール直球だ。“カウント2―1”から清原がファウルで3球粘り、最後はヘルメットが脱げ落ちるほど、清原のバットは勢いよく空を切った。桑田こん身のラストボールに「うおー」と叫び、白い歯がこぼれた。西武時代の94年日本シリーズ第5戦で西武球場のバックスクリーンへたたき込んだのと同じ高め直球だった。
全38球で31スイング、ヒット性は6本。カクテル光線に照らされたKKコンビが歩み寄りがっちりと握手し、笑顔で抱き合った。
ちょうど1年前の7月30日、プロスポーツ選手では前例のない左ひざの骨軟骨移植手術後、清原はリハビリを開始。小さな一歩を踏み出したこの日は大切な節目だった。復活の儀式も決めていた。3月28日、桑田から引退報告を受けると、1軍復帰直前の打撃投手を頼み快諾された。
桑田も心で応えた。この日のためにオーナーを務める「麻生ジャイアンツ」などで週5日の練習を続けてきた。「アマのボールは投げたくなかった。しんどいときもあったけど、彼の顔を浮かべてね。でも、今日でプロの球は投げなくていいんです」とうなずくと「彼らしいホームランを最後に1本見たい」とエールを送った。
KKコンビの26年目、お互いにこの日は忘れない。戦いの場へ清原を送り出し、桑田は本当の意味で野球人生にピリオドを打った。
「プロに入った時以上の恐怖、不安でいっぱいだが、桑田に背中をポンと押してもらった。生涯最高の練習をさせてもらった。人生で、こんな素晴らしい投手と対決することはもうない。本当に感謝している」清原は感謝の気持ちはバットに込める。
15歳の春に出会って26年目。
ユニホームを脱いだ親友の分まで・・・清原が1軍の舞台に帰って来る。
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速報!
先ほど清原が約2年ぶりに1軍の打席に立ちました。
結果は空振りの三振でした。
フルスイングでの三振でした。
打席に入ったとき泣いてたみたい・・・
あれじゃ絶対に打てないでしょ。
まあでも、いろんな想いがあったのでしょう。
仕方ありません。
いい三振だったなぁ・・・(しみじみ)
野球の神様、あと1本、あと1本でいいですから彼にホームランを打たせてあげて下さい!
頑張れ清原。
・・・そんなに好きな選手だったわけでもないんですけどね・・・(^^;
今は大好き。
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